蜜月

 以前のエントリーで次のようなことを書いた。

中田ヤスタカのようなひねくれた(かつある意味高い志をもった)人が、もはや売れて当たり前の存在になってしまったPerfumeに売れて当たり前の楽曲を提供し続けることをよしとするかどうか。それは彼の矜持の問題なのだ。


 ようするに、とりあえず売れちゃったPerfumeに楽曲を提供するようなことは、中田ヤスタカとしてはもうおもしろくもなんともないのではないか、という意味合いだったんだけれど、少なくともニュー・アルバムのタイトルを見る限りは中田さんノリノリじゃないですか。
 前作の『GAME』というタイトルを推したのは中田氏で、プレゼン時にPerfumeの三人も「そうそう『GAME』って感じしてた!」ということを言ったにしろ、実際にはプロデューサーの直感に同調したということだと思われる。そして今回もそれは同様だったという前提で話を進めたい。
 直感の人・中田ヤスタカが、極めて行き当たりばったりで単なる思いつきであるような(かつプロモーションしづらい)タイトルをあえて推したとするならば、これは相当に自信があってのことであり、そんなタイトルを冠されたアルバムの出来が悪いはずはない。そして既出の曲とのバランスから、新曲はシングルでは出せないラインの曲が占めることを期待させるにじゅうぶんだ。だってこれはそういうタイトルだもの。
 出せばオリコン一位を期待されて当然であるようなマスに向けた商品にマイノリティから生まれた音楽のラディカルな部分をいかに落とし込んでゆけるのか、ということに中田ヤスタカの興味は移っているように見える。そしてそれは代々木ライヴにおける『YoYoGi Disco MIX』(だれがどういう意図でリミキサーを選定したかはわからないが)とも確実にリンクしている。
 純粋に音楽的な実験なら他にいくらでもするところはあるが、それを巧妙に落とし込んだ音楽がマスにどこまで受け入れられるのか、そのぎりぎりのバランスとはどこなのか、あるいはその閾値をさらに押し広げることが可能なのか。今それを試すのにPerfumeほど最適な実験場は他にはないだろう。
 アミューズの思惑、徳間ジャパンの思惑、プロデューサーとしての中田ヤスタカの思惑、そしてPerfume三人の思惑がどういう力関係で作用しているのかは別として、現在(そして今後)の方向性はニュー・アルバムのタイトルによって明確に表明されたと考えていい。今回このタイトルが通ったという事実はなかなかに大きな意味合いを持っているに違いないし、中田ヤスタカPerfumeの蜜月は思ったよりも長く続きそうな気がしてきた。

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 ジャケットは白地に黒の「⊿」だけでいいよね。通常盤と限定盤は白黒逆とか。このラインだったら三人の写真はいらない。(Raster-Nortonから出ているAlva Notoのアルバムみたいなイメージ)