願い

『願い』は決別の曲である。
成功だけを無邪気に夢見てがむしゃらに努力していられたしあわせな時代との決別。
紅白出場を境に、『wonder2』でアンコールを閉められるようなしあわせな時代は決定的に終わってしまったのだ。


2008年12月31日の紅白出場によってPerfumeの歴史はその前後にはっきりと区分されることになったのだという事実を、代々木ライヴのアンコールであらためて実感する。
紅白出場とは、イコール商業的な成功のみならず、同時に国民的レベルでの認知がなされたという意味である。
それはPerfumeが長年目指していたことだ。
そして(皮肉にも)紅白出場をもってPerfumeにとっての『Dream Fighter』的な時代は終わりをむかえることになる。


以前のエントリー「『願い』――パーフェクトスターの分裂する切なさ」で書いたことの繰り返しになるが、『Dream Fighter』で描かれる夢と、『願い』に描かれる気持ちはまったく相反する。
むしろ『願い』の歌詞は、『Dream Fighter』の歌詞を根本的に否定しているといってもいい。
なぜ中田ヤスタカは、一枚のシングルのために逆のベクトルの二曲を書いたのだろうか。


これはあくまでも憶測だが、『Dream Fighter』は紅白出場への布石として「すべての層にわかりやすいPerfume」をアピールできる曲というオーダーがあったのではないか。
それによって『Dream Fighter』はPerfumeのメンバーにすら「ダサい」と表現されるような直截的な曲として仕上げられた。
その代わりに中田ヤスタカは、特に具体的なオーダーがなかったカップリングにあえて『願い』のような(残酷な)曲を書くことになる。


『願い』という曲に込められた『Dream Fighter』的価値の全否定から始めざるを得ないのが、紅白以降の時代を生きるPerfumeにとってのリアルなのだ。
(ひとつ前のエントリーに書いたような、『YoYoGi DISCO MIX』後の、特に二日目のようなMCの直後に歌うのに、『Dream Fighter』ほど似つかわしくない曲がほかにあるだろうか)
紅白以降の世界を生きるPerfumeがアンコールのラストに『wonder2』を歌うことはもはやふさわしくない。
PerfumePerfumeのリアルを生きてゆくしかないのである。